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日本に鉄道(蒸気機関車)が走りはじめたのは、1872(明治5)年のこと。それから18年が経過した1890(明治23)年になると、「電車」がお披露目された。その間には、乗合馬車、人力車、馬車鉄道と、種々様々な乗り物が登場した。人や物資を運び、文化を運んで文明の発達に果てしなく貢献してきた鉄道は、154年もの歴史に支えられてきた。電気を動力とする電車は、“エレベータ”とともにアメリカから輸入された技術だったことをご存じだろうか。今回は、時代の先端を走りつづけてきた鉄道の潮流について、垣間見ることにしたい。

※トップ画像は、1890(明治23)年に東京・上野公園で開催された第3回・内国勧業博覧会でデモンストレーション運転が行われた米国製の「路面電車」。当時はまだ、日本に電車は存在しておらず、はじめて日本でお披露目された電車となった=1890年4月、写真所蔵/JLNA

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東京~横浜を4時間で結んだ乗合馬車

都市間交通のはじまりは、1869(明治2)年にまでさかのぼる。日本人が経営する乗合馬車は、東京・新橋(諸説あり)と横浜・吉田橋間で営業を開始した「成駒屋」が最初といわれる。そもそも、馬車は外国人居留地のあった横浜の地が発祥とされ、今も「馬車道」という名を駅名や道路名、地域名に見ることができる。乗合馬車は6人乗りの外国製で、運賃は片道3分(=75銭)、東京→横浜間を4時間かけて結んでいた。

いっぽう、いまでいうタクシーに相当する「人力車」の創始は、1870(明治3)年に東京府から営業許可を得た日本人3名が、日本橋で開業したことにはじまる。当初の人力車は、“荷車”に屋根を付けただけの簡素な造りだったといい、次第にその台数は増え、東京府によって交通法で規制されるようになった。そのルールは、死亡事故を起こせば厳罰、高貴な方や巡査・兵隊と出会った場合は下車して無礼のないようにすること、運賃はその場で収受しツケ払いは禁止、といった具合だった。

1882(明治15)年になると、日本初の私鉄として「東京馬車鉄道(→のちの東京市電→東京都電車〔都電〕)」が誕生し、新橋~日本橋間の道路上にレール幅1372mmの線路を敷設し、2頭の馬によって25人乗りの車両(客車)をけん引して乗客を運んだ。運賃は、1等3銭、2等2銭で、その後、上野~浅草雷門間でも営業を開始した。乗客は年間100万人以上いたといわれるが、その反面、街中は馬糞とホコリにまみれ、「文明開化というものは黄色っぽくて臭いものだ」と嘆く人が多かったという逸話が残されている。

1887(明治20)年ごろの東京馬車鉄道のようす。後ろの駅舎は当時の新橋駅=写真所蔵/JLNA
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日本初の電車がお目見え
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