「北京ダック」 シュールな歌詞にブラジルのダンス音楽
次は1975年のセカンド・ソロ・アルバム『トロピカル・ダンディー』から「北京ダック」。場所は横浜中華街、“火事はボゥボゥボゥ”して、北京ダックが逃げ回る。何ともシュールな歌詞にサウンドはブラジルのダンス音楽、バイヨンがベース。1975年の日本の音楽シーン、いや世界の音楽シーンでここまでシュールで多様的な音楽も創造していたのは細野晴臣と、彼が敬愛しているヴァン・ダイク・パークスくらいしか見当たらなかった。
当時、細野晴臣にインタビューした時に、何故こんなに突飛かつ素晴らしいサウンドが生み出されるのか訊ねた。
“出てきちゃうんだよねぇ、これが。自分にはまったく突飛じゃないんだけど”と語っていた。天才なのだ、細野晴臣は。ちなみに前記の2曲は最新ライヴ・アルバム『あめりか』でも取り上げているから、お気に入りの楽曲なのだろう。
「ウォリー・ビーズ」 細野流ジャパニーズ&無国籍トロピカル・ソング
3曲目はYMO~イエロー・マジック・オーケストラの名のヒントになったと思える、イエロー・マジック・バンド名を名乗った1978年のソロ『はらいそ』から「ウォリー・ビーズ」。バック・ヴォーカルにあがた森魚(もりお)、大貫妙子が参加している。細野流ジャパニーズ&無国籍トロピカル・ソングだ。
かつて細野晴臣がプロデュースしたアメリカの女性シンガー、リンダ・キャリエールからインスパイアされている。但し、彼女のアルバムは本人がリリースを拒んだために陽の目を見なかった。細野晴臣の人生観が感じられる楽曲だ。
とても紹介したら3曲では細野晴臣のままで無限に広がっているかのような音楽世界は語れない。それでも彼の世界をのぞくきっかけになる曲だとは思う。
“閃いちゃうんだよね。そうすると、そのイメージを文にしたり、絵にしたりする。そして閃きを具現化へ感性をリードしていく。自分はそんなタイプのミュージシャンなんだろうな”と語っていた。
その閃きは日本の音楽シーンの財産であり、宝だと思う。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。
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