ワインの海、小ネタの浜辺

ワインの造り手は小学生 北海道・余市で保護者主導の体験プログラム【ワインの海、小ネタの浜辺】第13話

ゴールデンウィークに入り、「こどもの日」も近い。今回は子どもが関係するワインの話をしよう。 名うてのワインメーカー、曽我貴彦さんが投稿した写真の衝撃 3月下旬のある日、フェイスブックに投稿された1枚の写真に釘付けになって…

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ゴールデンウィークに入り、「こどもの日」も近い。今回は子どもが関係するワインの話をしよう。

名うてのワインメーカー、曽我貴彦さんが投稿した写真の衝撃

3月下旬のある日、フェイスブックに投稿された1枚の写真に釘付けになってしまった。そこには子どもの描いた絵のラベルが貼られたワインボトルがズラリと並んでいた。樹木、ブドウの葉、ブドウの房、伏せた犬、青とオレンジで描かれた抽象世界‥‥描かれた画題はさまざまだったが、どの絵からも屈託のないピュアな活力がレーザー照射されるような、凄まじい勢いが感じられた。

投稿者の曽我貴彦さんは、ワイン好きなら知らぬ者のないヴィニュロン(ブドウ栽培から手がけるワインメーカー)である。彼が北海道余市(よいち)町に開いた「ドメーヌ・タカヒコ」は、余市を「日本ワインブームの台風の目」(ワインジャーナリスト石井もと子氏)と言われる存在にした牽引役であり、彼が造る瑞々しく、飲み手の情緒をくすぐるようなワインは毎年リリースされるや否や入手困難となる。

くだんの写真に添えられた文章によると、曽我さんら「おやじの会」は地元の余市町立登(のぼり)小学校の児童にワイン造りを体験させている。それは子どもたちに地域の産業に興味を持ってもらうための取り組みだとのこと。ワイン造りと小学生って、なかなか結び付かないけど、なんだか面白そうだ。早速リモートで取材をすることにした。

北海道のワイン用ブドウの半分を生産するフルーツ王国

「おやじの会」のメンバーの話を聞く前に、ワイン産地としての余市について述べておこう。

道内では比較的温暖なこの地域では元々果樹の栽培が盛んだった。開拓使によって持ち込まれたブドウの苗に最初の果実がなったのは1877年(明治10年)のこと。1973年にお隣の仁木町でワイン用の欧州品種の試験栽培が始まったのを受け、翌74年には「余市ワイン」が設立される。80年代には町内の栽培農家が相次いで大手ワイナリーと栽培契約を結んだ。少し古いデータだが、全国で栽培されるワイン用ブドウの30%を北海道産が占め、道内の生産量の半分を余市が占めているという。

2010年に長野生まれの曽我さんが余市に移住し、ワイン造りを始めて高い評価を得ると、彼の下で研修をしたいという人を含め、ワイン造りを志す人たちが相次いで余市に移り住むようになった。現在、町内で操業しているワイナリーの数は15軒。このうち、曽我さんのワイナリーがある登町地区に11軒が集積している。

大人が子どもに戻りたくなるようなプログラム

曽我さんによると、「おやじの会」は登小学校に通う児童の父親たちが2019年に立ち上げたグループ。現在メンバーは11人だ。曽我さん自身にも3人の子どもがおり、上の2人が小3と小6で在学している。「僕が移って来た時、登小の生徒数は8人でした。今は13人います」。13人の内訳は、2年生5人、4年生2人、5年生3人、6年生3人。1年生と3年生はいない。児童の大半が外からの移住者か、近隣自治体からの越境通学。親の職業は、ワイン関連と農業が8割を占める。

「コロナ禍が始まる前、教員の働き方改革の一環で、子どもたちの行事が取り止めになったりして、父兄の間でこのままではまずいという話になりまして‥‥」。学校の活動とは別のかたちで子どもたちに学びの場を与えたいという気運が高まっていた矢先にコロナ禍が襲ってきた。十数人がゆったりと学んでいる小規模校であってもコロナ対策は教育委員会の指導のもと全国一律で行われる。子どもたちにとって「経験の場」はますます限られ、にわかに「おやじの会」の役割の重要度が高まった。

登小学校のHPに、「おやじの会」の活動について紹介するページがある。それによると、これまでに行ってきた行事は、

ワイン造り──収穫、仕込み、ラベル造り、瓶詰め
春の野草や山菜採り
地域の森でカブトムシ、クワガタ採り
川遊びと飯盒炊飯
海遊びとカヌー体験
余市の魚市場見学
ブドウ畑での流星群観察
モーグルチャンピオンによるスキー教室

等々‥‥。読んでいるこちらが小学生に戻って仲間に加わりたくなるような充実ぶりだ。

子どもたちにヴァーチャルでない体験を

ワイン造り体験については、20年の収穫期が最初だった。ブドウ栽培農家から借り受けた畑の一画でブドウを収穫(品種は白ワイン用のケルナー)。曽我さんの醸造所で足踏み破砕と手押し式のプレス機での圧搾を経験させた。果汁は20リットル入りの斗瓶に詰められ、自然発酵。顕微鏡とディスプレーを使って発酵の仕組みを学ばせようとしたが、微生物の働きを理解するには子どもたちが幼すぎたようで、これは失敗‥‥。翌年の春、子どもたちがラベル画を描き、自分達の手でボトルに貼って完成させた。こうしてできたワインは児童1人当たり2本を支給。1本はその場で父兄に持ち帰ってもらった。もう1本はドメーヌ・タカヒコのセラーで眠る。その分は子どもたちが卒業する時に手渡される約束だ。

「おやじの会」メンバーで、オーベルジュ「余市サグラ」のオーナーシェフ、村井啓人さんは「我々がやりたかったのは子どもたちにこの土地の良さを知ってもらうことでした」と言う。村井さんは17年に札幌から移ってきた。都会の学校に馴染めなかった息子が余市に来てのびのびと暮らすようになったのを目の当たりにし、移住して本当に良かったと思った。「イタリアで修業したとき、日本人に足りないのは郷土を愛する気持ちだと感じました」ふるさとを愛するようになるためには、その土地の魅力に気づかなければならない。「子どもたちがいずれ成長して余市を離れることになったとき、君のふるさとには何があるの? と訊かれて答えられないとしたら、それは親のせいでしょう」

村井さんはこうも言う。「ここで我々が子どもたちに経験させていることはヴァーチャルではない。そのことに大きな意味があると思います」。都市での暮らしはますます情報過多になり、知りたいことは瞬時にスマホで得られる。そんな環境に慣れた子どもは成長に不可欠なトライ・アンド・エラーをする機会が極めて少ない。一方、余市の自然の中でのアクティビティーは子どもたちにとって試行錯誤に満ちた冒険の繰り返しと言うことだろう。村井さんの息子の「のびのび」もその辺りと関係があるに違いない。思えば村井さんが生業にしている料理も、曽我さんらのブドウ栽培やワイン造りも生き物や自然相手の、マニュアル通りにいかない世界。彼らの仕事ぶり、生き方が既に「反ヴァーチャル」「反スマホ的」と言える。

「余市サグラ」で行われた「おやじの会」のミーティング風景

「余市は人のつながりがいいんですよね」と言うのは、会のメンバーでPTA会長でもある木内大介さん。次女の千宙(ちひろ)さんが6年生で登小に通う。彼女はワインのラベルに猫の絵と運動会で頑張った思い出として「走れ!」と記したそうだ。子どもらしい大らかさが伝わる良いエピソードだと思う。「おやじの会の活動は、誰がリーダーというのでもなく、みんなでやれることをやるという感じです」企業や自治体のコンサルタントをしている東京出身の木内さんが17年に余市に移ったのは、農業がやりたかった妻・美佳さんの念願を叶えるため。余市で醸造の魅力に触れた美佳さんは去年からシードルの醸造も手がけている。15年間に及ぶイギリスでの生活体験がある木内夫妻にとってシードル(イギリスではサイダー)は馴染みのある酒でもあった。今年の子どもたちの醸造体験は、美佳さんの営む「ピンクオーチャード」のりんご畑と醸造所で行うことになっている。

ワイン造りと小学校を軸に町の人口を増やしたい

余市町の人口は最新の数字で17664人(2022年3月末現在)。1960年の28659人をピークにほぼずっと右肩下がりだ。ワイナリーが集積する登町地区でさえ、2015年に570人だった人口が20年には490人に減少している。歯止めのかからぬ人口減少への危機感と新規就農者を中心とした移住者が多いことから、この土地にはいつしか外来者を快く受け入れる気風が育っているのかもしれない。曽我さんは「(将来的に独立してワイン造りをするために)うちで研修したいという人を受け入れる際には、登小に通う子どもがいる人を優先するようにしています」と言う。ワイン造りは時間のかかる事業であり、次世代、さらにはその次の世代まで見通したビジョンを持って、腰を据えて取り組むべき仕事だということだろう。「登小学校を軸にあれこれ考えて、人口を増やしていこう、移住してくれるような雰囲気を作っていこうと、おやじたちと話しているんです」

14年から余市に暮らす山中敦生さんは茨城県の出身。曽我さんの下で研修し、16年に自身のブランド「ドメーヌモン」を立ち上げた。一人娘の日乃(ピノ)さんが登小3年に在学している。それまでにも「登探検」(これは学校行事の一環)と称して山中さんのブドウ畑を子どもたちに見学させるなどしていたが、去年の収穫時期には「おやじの会」として2期目のワイン造り体験のために施設を提供した。「娘は、作業は楽しいけど大変だったと言っていました。曽我さんは我々の仕事を体験させることで、子どもたちの親に対する敬意が増したと言っていますが、うちの娘に関しては特にそういう反応はなかったですね(笑)」。ワイン造りに入る前はスノーボードのインストラクターをしていた山中さん、今年の冬は子どもたちにスノボを教える予定だ。

ブドウ畑を「探検」しに来た子どもたち(左端は山中さん)

将来の夢はワイン造りや農業に携わること

「おやじの会」の取り組みを学校側はどう見ているのだろう? 登小学校の名取俊晴校長に訊いてみた。名取校長は、余市町のある後志(しりべし)管内で管理職を含めて長らく教職に就いてきた大ベテランで、町が行った校長公募に「自らの経験を活かしたい」と応募し、去年の4月から現職に就いている。

「子どもたちが自分の地域の魅力や親の仕事を理解し、誇りを持ってくれるようになるという点で『おやじの会』の活動は非常に有益だと思います。コロナ禍という事情もあって、我々だけではできないことがあります。それを『おやじの会』の皆さんはちゃんとリスクを考えて、やってくれている。本当に素晴らしいことです」

登小の児童たちに将来の夢を訊ねると、ワイン造り、農業、料理人と答える子が多いそうだ。ちなみに、名取校長は子どもたちが手がけたワインを飲んだことがない。「子どもたちが20歳になって自分たちのワインを開ける場に、私も立ち会うことができたらさぞや嬉しいだろうなと想像しています」

さて、誰もが気になるのが子どもたちのワインの味であろう。造りからして、自然で素朴な味わいであることは想像がつくし、なんと言っても間違いのないプロがバックについているのだ。不味いはずがあるまい。20年、21年の両ヴィンテージを実際に飲んだという村井シェフに訊いてみたら、こんな答えが返ってきた。
「それはもう味とか香りとかを超越したものがありました」

ワインの海は深く広い‥‥。

写真提供:曽我貴彦、村井啓人、登小学校

浮田泰幸
うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。

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