「最低……もう、最低……幻滅です」
そういえば近ごろ、極めつきのシャレを思いついた。思いついたとたん矢も楯(たて)もたまらなくなるほどのシャレである。
どういうものかというと、まず各社の担当編集者とツーショットのプリクラを写す。それを等分して互いの携帯電話とか手帳にペタペタと貼る。この際、要点としては決して照れず笑わず、真剣このうえない仏頂面をする。
このシャレが大流行すれば、名刺交換のかわりに互いの手帳を見せっこしただけで、作家は編集者の格がわかり、また編集者はライバルがひとめでわかる、という寸法だ。
くだらん。まことにくだらん。しかし、シャレの定義である前記3項目は完全に満たしておるので、私はたちまちこれを実行に移した。
まず一人目の犠牲となったのは、版元F社のH女史である。たまたま6月に刊行予定の『活動寫眞の女』の取材のため、池袋の映画館に溝口健二の映画を観に行った。ゲラ校正の途中に疑問点が生じたので、折しも天啓のごとくリバイバル上映されていた映画を観に行ったのである。
「Hさん、実はお願いがあるんだが」
と、私は映画館から出たあと、たそがれの裏町で彼女の腕を引いた。H女史はたいそうマジメな人なので、誘い方は難しかった。言ってしまってから私は、いかにシャレとはいえ赤面した。
「はい、何でしょう。できることでしたら、なんなりと」
「たのむ。笑わないで聞いてくれ。いっぺんだけ、いっぺんだけでいいんだ」
まずいことに、プリクラの並んだゲームセンターのすぐうしろはホテル街であった。H女史は私の背後にホテルの灯を見ており、私は目前のプリクラしか眼中になかった。したがって何も言わぬ前からH女史のスッと青ざめた理由が、私にはわからなかった。
「たのむっ。ハゲおやじが何てこというのとは思わんでくれ」
「…………」
「君は何もしなくていい。黙ってジッとしてくれてりゃいいんだ。すぐ終わる。な、いっぺんだけ、いいだろ」
私は営業が長かったので押しは強い。営業の極意は1に押し、2にも押し、3に誠意、4に泣き、と先輩のトップ・セールスマンから教わった。「困りますよォ、そんなこと……」
と、H女史は私の真剣なまなざしから身をかわすように笑った。私はガ然燃えた。子供のころから、ダメと言われるとムキになって燃えるタイプであった。
「困るのはおたがいさまだ。君は恥ずかしいだろうけど、男の俺はもっと恥ずかしい。どうだ、2人して恥をかこうじゃないか」
「……最低」
「そりゃサイテーですよ。文化人の風上にもおけんですよ。そこを何とか」
身を翻して歩き出そうとするH女史の腕を私は摑まえた。
「な、な、いいだろ。君がウンと言ってくれたら、たてつづけにS社のCちゃんとか、C社のMさんとかもだね──」
「最低……もう、最低……幻滅です」
「サイテーとかゲンメツとか、そこまで言うほどのことじゃあるまい」
「言うほどのことですよ!」
「女ばかりじゃないぞ。経験を積んでコツがわかったら、K社のOとかB社のHとか、そうだ、週刊現代のFとも必ずやる。約束する」
「……浅田さん、あの、オーバーワークでどうかなっちゃったんじゃないですか」
「冗談じゃない。俺は疲れているときほどシャープなんだ。な、な、いいだろ1回だけ。シャレだよ、シャレ」
「シャレ? ……ひどい。ひどすぎる」
こうなれば実力行使するしかなかった。私は力ずくでH女史をゲームセンターに引きずりこみ、暗幕で囲われたプリクラの画面の前に立った。
とたんに誤解がとけ、H女史はその場にへたりこんでしまった。
「書きこみが足りないって、いつも言ってるのにィ……」
「書きこみ? 何だそれ」
「だから、文章は思いこみで書かずにですね、読者の立場に立って、主語とか目的語をはっきりと」
「……何だかわからんが、ともかくやるぞ。いいか、笑うなよ。笑わずに仏頂面で。よおし、いいぞその顔」
かくて記念すべきプリクラ第1号は完成した。以後、コレクションは順調に進行中である。
(初出/週刊現代1997年5月17日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。