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朝食前のラーメンで「味の変化を見極める」

先代は昭和63年に現役を引退するまでの間、毎日欠かさず続けていた事がありました。それは朝食の前に一杯のラーメンを食べる事でした。一切過食や夜更かしをせず口を清め、味の変化を見極めていました。

「自分が毎日食べて飽きるものを、お客さんに出せるわけない」この真面目な職人気質は後の二代目、そして弟子たちへ継承されていくのです。

このことを誰が言ったのか「春木屋理論」と言い、多くのラーメン店が理念に掲げています。

常連を虜にする“おもてなし”

お店の行列が長くなると、常連さんは去っていくといわれますが、「春木屋」の常連さんは今も通い続けています。その理由は、五男さんの奥さんのフミさんがお客様の心をつかみ虜にしてしまう「おもてなし」があるからなのです。

今村五男さんと二代目の幸一さん

先代が作り上げた「いつも変わらず美味しいラーメン」をさらに美味しくするのがフミさんの役割なのです。お客様に美味しく、気分良く食べていただくため、フミさんはお客様と会話をしながら顔とその好みを覚えていったのです。その数は200人を超えるといいます。またその好みは、微妙な脂の量であったり、麺の茹で時間であったりと非常に細かいのです。常連さん曰く、このやりとりがたまらなく嬉しく、ほっとするそうです。このフミさんの想いが厨房に立つ先代にも伝わり、フミさんとのあ・うんの呼吸でお客様をもてなしてきたのです。

先代が引退、弟子制度の導入

先代が引退する年、「春木屋」に新たな時代が訪れました。

それは昭和61年の暮れの出来事でした。行列はますます伸び70歳を目前とした先代もフミさんも、思うように体が動かなくなっていたそんな最中、来年卒業を迎えようとする高校生が父親と春木屋を訪れたのです。

その高校生の名前は手塚英幸さん(現・春木屋郡山分店社長)。腕一本で家族を不自由させない職人の姿に感銘を受けた手塚氏は、進学せず職人の世界に入ることを決心していました。18歳の冬、何気なく買った本が手塚氏の、春木屋の運命を変えることになるのです。その本に掲載されていた先代の言葉は、まさに手塚氏が志していた職人のあり方だったのです。

春木屋一番弟子となった手塚英幸さん(2003年撮影)

当時の春木屋は弟子を取る制度がなかったのですが、手塚氏の情熱に押され春木屋の歴史の中で始めて外部からの人間が入る事となるのです。当時を振り返り、採用に踏み切った今村正子さんが言うには「もしあの時、彼を受け入れなかったら、現在春木屋はなかったのかもしれません」とのこと。春木屋にとっても手塚氏にとっても運命を左右する1日だったのです。

そしてその数カ月後、もう一人のラーメン職人を志す若き青年が春木屋を訪れたのです。彼の名は高橋充さん。職人家系である高橋さんは手塚さん同様に、小さい頃から職人の世界で活躍する夢を抱いていました。中でもラーメンには特別な想いがあった高橋さんは、高校生になるとラーメンの食べ歩きを始める。その食べ歩きの最初に訪れたのが春木屋だったのです。その後も食べ歩きを続けるのですが、高橋さんの脳裏には、カウンター越しに見た先代の姿が焼きついていたのです。

その1年後には、兄の影響を受けた手塚雅典氏が弟子入りをし、同じ志を持つ若き3人が、三羽ガラスと呼ばれる春木屋の新たな時代を築き上げていくのです。

左から初代、二代目、二代目夫人、三羽ガラス(2003年撮影)
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春木屋の修業期間は7~10年、修了式を終えて「独立」...
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おとなの週末Web編集部
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