メジャーリーグ初の日本選手が誕生してから2024年で60年になる。今や大谷翔平(29)が本塁打王を獲得するなど、日本選手のメジャーリーグでの活躍は目覚ましいが、かつてはパワーとスピード、体力に劣る日本の野手はメジャーでは…
画像ギャラリーメジャーリーグ初の日本選手が誕生してから2024年で60年になる。今や大谷翔平(29)が本塁打王を獲得するなど、日本選手のメジャーリーグでの活躍は目覚ましいが、かつてはパワーとスピード、体力に劣る日本の野手はメジャーでは通用しないといわれていた。メジャーリーガー第1号の村上雅則(79)と2人目の野茂英雄(55)も投手だ。しかし、その見方を覆し、野手が活躍する道を切り拓いたのがイチロー(50)、そして松井秀喜(49)だ。メジャーリーグに確固たる足跡を残した大打者2人。その歩んだ道のりを回顧しながら、21世紀になって花開いた日本の打者たちの活躍を俯瞰する。
ホームランは野球の華だが「スモールボール」でメジャーを席巻したイチロー
ホームランは「野球の華」といわれる。説明するまでもないことだが、走者が3人いれば、一気に4点が入り、ドラマチックな逆転劇も起きる。何よりもユニークなのは、フェアゾーンのグラウンド外、観客で埋まるスタンドに飛び込んだ打球に得点が与えられること。他のスポーツにはみられないこの独特のルールによって、観客を巻き込んだ熱狂が生み出される。
メジャーリーグ史上最多12回の本塁打王に輝いたベーブ・ルース(1895~1948年)が今も「野球の神様」と崇められているように、野球の祖国アメリカにおいてホームランは特別なものだ。故にメジャーリーグの本塁打王は、他のタイトルとは異なる価値を持ち、2023年シーズンに44本を打った大谷翔平が日本選手としてはじめてその栄誉に輝いたのは画期的な出来事だった(しかも負傷で9月3日を最後に残りは欠場)といえる。
しかしそんな「野球の華」とは一線を画し、俊足巧打を武器に「スモールボール」(スモール・ベースボールとも。長打に頼らず、安打や走塁などで得点につなげる戦い方)でメジャーリーグを席巻した日本選手がいる。メジャーリーグ史上初の日本の野手、イチローである。
野手第1号、「個人での世界一」を目標に渡米
イチローがシアトル・マリナーズに入団したのは2001年のこと。野茂英雄や佐々木主浩(56)らの活躍によって、メジャーリーグにおける日本選手の評価は高まっており、日本での7年連続首位打者、パ・リーグ最高打率.387の実績を引っ提げ、野手第1号として満を持しての挑戦となった。ポスティング制度(メジャー移籍の制度のひとつ。所属球団の許可が必要)を使った日本選手では初めての移籍でもあった。入団が決まった後には、次のようなメジャーでの展望を語っている。
「世界一というのは、今、見てる限りではあくまでもメジャーですよ。もちろん、個人として、世界一になりたいという意識はありますけどね。今はそんなもの、全然見えてないですよ。でも、一度は行きたいと思いますよね、世界一まで」(Number514号 2001年1月11日)
この“イチロー節”は、平たく言うと、メジャーリーグは世界一であり、そのメジャーリーグで個人として世界一になりたいということだろう。個人としての世界一が首位打者なのか、最多安打なのかはわからないが、いずれも1年目に実現してしまうことになる。
しかし自信に満ちたイチローとは裏腹に、世間には厳しい声もあった。当時は投手ならまだしも、野手は通用しないという考え方が支配的だった。日本で実績を残しているメジャーレベルの投手は、メジャーリーガー相手でも同等の活躍ができるが、野手はたとえメジャーレベルであっても、対戦する投手の力量が相対的にアップする分、不利になるというわけだ。
しかも2001年はバリー・ボンズ(59)がシーズン73本のメジャーリーグ記録を作ったシーズンであり、ホームラン全盛の時期。率を残す巧打者タイプのイチローは本場のパワー野球についていけないという声もあった。
1年目から大活躍、史上2人目の新人王とリーグMVP同時受賞
しかしふたを開けてみれば、俊足巧打を武器にして157試合に出場しア・ナ両リーグ通じ最多の242安打を放ち、打率.350、56盗塁で首位打者と盗塁王の2タイトルを獲得したほか、右翼から三塁への矢のような送球「レーザービーム」も話題となり守備でもゴールドグラブを受賞。史上2人目となる新人王とリーグMVPの同時受賞をはたした。
イチローが1年目から成功した要因は、巧打に加え、持ち前の俊足巧打をとことん活かしきったことにある。2001年のイチローはゴロアウトがフライアウトの1.71倍(平均1.08倍)と徹底的に打球を転がし、242安打のうち単打が192本と約8割を占めた。野手の間をついて、コツコツと単打を狙い、足を生かす、野球の原点に回帰したような「スモールボール」の打撃スタイルが、パワー野球全盛のメジャーリーグで花開いたのだ。
4367安打は史上最多、殿堂入りはほぼ確実
しかも驚くべきは、1年目にクリアしたシーズン200安打超、打率3割超、20盗塁超というハイレベルな成績を10シーズンに渡り継続したことだ。この間、2004年にはシーズン262安打を放ち、ジョージ・シスラー(1893~1973年)の持っていた257本(1920年)のシーズン安打記録を84年ぶりに塗り替える偉業を成し遂げている。
イチローがメジャーリーグで放った安打は3089。日本での1278安打と合わせ4367安打となり、ピート・ローズ(83)の4256安打を抜き史上最多。歴代記録においても、メジャー挑戦前に目標として掲げていた「個人で世界一」を成し遂げた。
タイ・カッブ(1886~1961年)やベーブ・ルースら球史に名を残す大打者たちと並び称される、メジャーリーグの歴史にその名を刻んだレジェンドといっても言い過ぎではないだろう。
渡り歩いた球団は、マリナーズ、ニューヨーク・ヤンキース、マイアミ・マーリンズ、再びマリナーズ。2019年に現役を退いた。2025年、引退から5年で有資格となるアメリカ野球殿堂入りするのは間違いない。
パワー野球にパワーで挑んだ和製スラッガーの先駆者・松井秀喜
日本の野手のメジャーリーグ挑戦を振り返る上で、イチローとともに、その功績に光を当てるべき選手がいる。パワーヒッターとして日本選手で初めてメジャーリーグに挑んだ松井秀喜だ。
松井が海を渡ったのは、イチローのデビューから2年後の2003年。イチロー、新庄剛志(52)、田口壮(54)に続き日本の野手として4人目の挑戦となった。これまでの選手と違ったのは、スラッガーとしてパワー野球のメジャーリーグにパワーで挑んだことだ。巨人でプレーした日本での通算本塁打は10シーズンで332本。メジャー行き前年の2002年にはシーズン50本塁打をマークしていた。日本を代表するホームランバッターがメジャーでどこまで通用するのか、関心が集まった。
日本選手初のワールドシリーズMVP、「ゴジラ」の名に恥じない怪物
ニューヨーク・ヤンキースに入団し、左翼手の定位置を掴んだ松井はデレク・ジーター(49)やジェイソン・ジアンビ(53)らとともに強力打線に名を連ね、1年目は16本塁打ながら106打点と勝負強い打撃を見せ、2年目には31本塁打をマーク。ヤンキースタジアムのライトスタンドに叩き込むホームランの飛距離は、メジャーリーグの強打者たちと比べても遜色なく、「ゴジラ」の愛称に名前負けしない怪物ぶりを見せた。それまでドジャースやマリナーズなど西海岸のチームでプレーする日本選手が多かった中、東海岸の、それも名門ヤンキースでプレーする姿は、新鮮に映ったものだ。
松井はメジャーリーグで10シーズンプレー(ヤンキース、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム、オークランド・アスレチックス、タンパペイ・レイズ)し、放った本塁打は175本。2024年の開幕時点で日本選手最多の本数だ。
打撃の個人タイトルを獲ることはなかったが、ヤンキース在籍最終年、2009年にフィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズで13打数8安打8打点、3本塁打の大活躍でMVPに輝いている。
ヤンキースタジアムでの第2戦、メジャー屈指の剛腕、ペドロ・マルティネスから放った特大のホームランは今も語り草だ。これまでチャンピオンリングを手にした日本選手はいるが、ワールドシリーズでMVPを獲得したのは松井しかいない。印象的な活躍が多かったことが、「記録のイチロー」に対して、「記憶の松井」といわれる所以だろう。
2012年に現役を引退したが、その鮮烈な印象は、今も色褪せない。
日本選手VS日本選手、眠れない日々
メジャーリーグに確固たる足跡を残したイチローと松井。後に続くものたちは、二人の大打者の背中を追い続けていく。
2023年に本塁打王を獲得してイチロー以来の打撃タイトルホルダーとなった大谷は、2024年のシーズン、4月12日のパドレス戦で日本選手最多タイの175号本塁打を放ち、松井の記録に並んだ。近く、単独トップになるのは間違いないだろう。
この大谷をはじめ、2024年のシーズンは、シカゴ・カブスの鈴木誠也(29)、ボストン・レッドソックスの吉田正尚(30)とチームの中軸を担う注目の野手が目白押し。サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有(37)、ドジャースの山本由伸(25)、カブスの今永昇太(30)ら投手との対決も楽しみだ。
思えば、メジャーリーグで、日本選手同士の対決がこんなにひんぱんに見られるのも、この60年の歩みを考える上で感慨深い。
アメリカとの時差は13~16時間あり、デーゲームは日本時間の深夜、ナイトゲームは午前中に行われる。野手は投手と違い、レギュラーになれば連日試合に出場する。しばらく寝不足の日々が続くことになりそうだ。
石川哲也(いしかわ・てつや)
1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。
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