セリカGT-FOURに対するプロの評価
セリカGT-FOURの登場は、クルマ雑誌でも大きく取り上げられ盛り上がりを見せていた。クルマ雑誌はクルマ好きの情報源であり、クルマを購入する際には自分のひいきの自動車評論家の試乗インプレッションがよりどころとなっていた。クルマ雑誌に長年携わってきているが、凄い時代だったと思う。
では、セリカGT-FOURの評価はどうだったのか? 結論はおおむね高評価。特に4WDによる安定性の高さから、誰もが安心して高性能を楽しむことができる点の評価が高かった。しかし、どの評論家も重すぎる1350kgの車重をネガとして指摘し、走りに軽快感がイマイチ足りないという評価。ライバルのファミリア4WDは1.6Lエンジン(145ps)でボディもひと回り小さいハッチバックだったが、車重は1090kgだったからなおさら。
4気筒エンジンでは当時最強スペック
セリカGT-FOURは、FFモデルがノンターボエンジンだったのに対し、2L、直列4気筒DOHCターボを搭載。185ps/24.5kgmのスペックは当時の4気筒エンジンとして最強だった。FFモデルでは4速オートマチック(4AT)が人気だったが、GT-FOURは5速マニュアル(5MT)のみの設定となるなど差別化されていた。
しかしエクステリアはFFモデルと比べてフロントバンパー両サイドに丸型フォグランプが埋め込まれる程度で極小。フロント、リア、ドアのGT-FOURのエンブレム、ステッカーが妙に誇らしげだったものの当時は物足りなかった。このさりげなさって子どもに理解しろっていうのは無理な話。
マニアのクルマからミーハー車へ
セリカGT-FOURは前述のとおり、トヨタのWRCマシンのベース車両ということで、最も注目していたのは日本のラリー関係者たちだった。ある一定数いる新しい物好きなども食指を動かした。
簡単に言えばセリカGT-FOURはマニア寄りのクルマだったのだ。見た目はナンパだけど、中身は超硬派ってやつ。万人受けするという意味ではソアラやプレリュードにはかなわなかった。
しかし、1987年に上映されたホイチョイ・プロダクション原作の『私をスキーに連れてって』(以下わたスキ)の劇中で使われて状況は一変。私のようなミーハーな輩のターゲットとなったのだ。
最初に憧れたのはマットビハイクル
私はテレビドラマや映画に登場するクルマにアレコレ憧れてきた。最初が『帰ってきたウルトラマン』(1971~1972年)のマットビハイクル(マツダコスモスポーツ)。広島生まれだが、実車のコスモスポーツなんて見たことなかったので、こんなカッコいいクルマが東洋工業(現マツダ)のクルマとは夢にも思わなかった。ウルトラマン系では『ウルトラマンタロウ』(1973~1974年)のウルフ777(3代目トヨタクラウンを改造)も好きだった。
外国の映画やドラマでも感化
そして映画『007 私を愛したスパイ』(1977年)のボンドカーで潜水艇に変身するロータスエスプリ、特撮テレビドラマ『ナイトライダー』(1982~1986年)のナイト2000、
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)のデロリアンDMC-12など、多くのクルマ好き同様に、健全に影響を受けてきた。
私は対象外だったが、ドラマ『あぶない刑事』(1986年)の2代目日産レパード、ドラマ『ビーチボーイズ』(1997年)のルノー4、ドラマ『ビューティフルライフ』(2000年)のオペルヴィータなどに感化され、実際に購入した人も少なくないはずで、日本中を巻き込んでブームとなったクルマはいろいろある。ともかくどれもが懐かしい。
スキーはお金持ちが行くものという認識
何かと影響を受けやすい私が最も熱くなったのがセリカGT-FOURだったのだ。自動車雑誌『ベストカー』では長きにわたりモータースポーツを担当。しかし、セリカGT-FOURに憧れたのは、WRCで活躍したからではなく単にミーハーだっただけ。
『わたスキ』上映された1987年といえば私が大学2年生の時。広島生まれということで、子どもの頃にスキーに行くのはお金持ちの家だけという認識で生きてきたが、大学入学時には東京の大学生は頻繁にスキーに繰り出していた。私も何度か行ったがまったく上達せず。