おとなの週末的クルマ考

日本のクルマ界には早すぎたのか バカ売れした人気の3代目アコード、“売れない車種”の理由を探った! 

3代目アコードはリトラクタブルヘッドライトのスポーティなデザインで人気となりました!!

3代目ホンダアコードは大人気となったセダンと、チャレンジングながら販売面で苦戦したエアロデッキの二刀流でした。その魅力を振り返ります。

画像ギャラリー

今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第38回目に取り上げるのは、3代目ホンダアコードだ。

ハイソカーブームの真っ只中に登場

オイルショック、排ガス規制を経て1980年代に入って日本車は飛躍的に進化を遂げた。いろいろなカテゴリーで魅力的なモデルが続々登場し、性能面でも欧州メーカーに追い付け追い越せと日本の自動車メーカー各社は矢継ぎ早にニューモデルを投入していた。

1985年デビューの3代目アコードはすっきりしたデザインが知的な印象

3代目アコードは1985年6月にデビュー。3代目アコードがデビューした1985年といえば、日本のクルマ史上最もセダンが売れた”ハイソカーブーム”の真っ只中。

ハイソカーブームとは、白いボディカラーの4ドアハードトップ(窓枠の付いていない)が爆売れしたクルマ界のムーブメントで、その象徴のひとつがトヨタの『ツインカム24』だった。ハイソカーブームはトヨタマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟が1984年に登場したのが決定打となり日本を席巻していた。

ハイソカーブームは1984年に5代目マークIIが登場して最高潮に!!

異質なセダン

3代目アコードもそのハイソカーブームに乗じて人気になった、と思いがちだが違う。前述のとおりハイソカーブームの主役は窓枠のない4ドアハードトップだったこともあり、各社こぞって4ドアハードトップを登場させていた。

ハイソカーで人気となったセダンの三種の神器といえば、6気筒エンジン、FR(後輪駆動)、ハードトップボディ。それに対し3代目アコードは、4気筒エンジン、FF、窓枠付きのプレスドアということで、トレンドとは真逆だった。そう、1985年に登場したセダンとしてはかなり異質だったのだ。

リアウィンドウがボディ差塩に回り込んでいてガラスエリアの広さが強調されている

3代目で大幅にイメージチェンジ

アコードはホンダの主力シビックのひとクラス上のモデルとして1976年に初代モデルが登場。コンセプトは『新しい価値と主張のあるクルマ』というものだったが、デザインなどはシビックを踏襲していた。使い勝手のよさ、爽快な走り、環境性能の高さなどにより人気モデルとなったが、2代目は初代のキープコンセプトが仇となり、存在感が薄くなっていた。

2代目アコードは質実剛健を地で行きデザインには華がなかった

そんな状況下で3代目がデビューしたのだが、デザインを劇的に変更してさっそうと登場!! 最大のポイントはリトラクタブルヘッドライトの採用で、当時若者から絶大な支持を受けていた2代目プレリュードに通じる低いノーズが特徴的だった。

ホンダデザインは1981年に登場した初代シティで大きく変わったと言われているが、それ以降のモデルに共通するのはどことなく知的な感じがして、小洒落ているということで、それは3代目アコードのエクステリアデザインからも感じられた。

プレリュードセダンというのも納得のスタイリッシュなデザイン

リトラクタブルを採用したセダンは少数派

スーパーカーブームで大人気となったリトラクタブルヘッドライトだが、日本車で初採用したのは1967年デビューのトヨタ2000GT。その後1978年に登場したマツダサバンナRX-7に採用され、その後日本車でも採用モデルが増えていった。

ホンダ車では1982年登場の2代目プレリュードで初採用し、元祖デートカーと大人気になった大きな要因でもある。ホンダはバラード、バラードスポーツCR-Xにヘッドライト上部ののみが稼働するセミリトラクタブルを採用していたが、フルリトラクタブルとしては3代目アコードが2例目となる。

セダンとしてリトラクタブルヘッドライトを初採用したのは1981年登場のマツダコスモ

ちなみに非スポーツのセダン系モデルのフルリトラクタブルヘッドライトの採用車は少数派で、日本車初はマツダコスモ(1981年)、3代目アコード、その直後にデビューした初代インテグラくらいのものだ。

アコードはリトラクタブルヘッドライトを採用したことにより、大人気だったプレリュードの影響もあり、プレリュードセダンという見方もあったと思う。このことも3代目アコードがヒットした要因のひとつだろう。

3代目アコードのすぐ後に登場したインテグラ5ドアもリトラクタブルヘッドライトを採用して人気

ボディの大型化でクラスアップ

3代目アコードのボディサイズは全長4535×全幅1695×全高1355mm。2代目のセダンが全長4410×全幅1650×全高1375mmだったので、かなり大型化されている。5代目マークII(全長4650×全幅1690×全高1415mm)よりも全長は短いが、それに匹敵するクラスに車格アップした。もっとも顕著なのがホイールベースで、2代目の2450mmから2600mmへと引き延ばされている。これはすなわち、室内の快適性の向上、優れた直進安定性を実現させるためだった。

特筆は1355mmの全高で、マークIIからもわかるとおりセダンの全高は1400mmちょい超えが当たり前のなか、異例に低かった。これもスポーティイメージを植え付けるには打ってつけだった。

インテリアは快適性と先進性にこだわりを見せていた

機能性を追求した結果のデザイン

3代目アコードはスタイリッシュなエクステリアデザインが与えられているが、カッコだけのこけおどしではなく、当時トレンドとなっていた空力も突き詰めていた。低いノーズは空気抵抗低減のためだし、三次曲面を売りにしていたサイドウィンドウは、段差5mmの精度を誇り、空力ドアミラーも採用するなどこだわりを見せていた。デザイン上のポイントともなる低傾斜角のリアウィンドウは、ボディサイドまで回り込むラップラウンドタイプとし、ガラスエリアの広いキャビンの実現にひと役買っている。すべてのデザインは、機能に通じているのも3代目アコードの特徴だ。

3代目アコードの兄弟車として2代目に引き続きビガーが設定されていたが、フロントグリルのデザインとリアのナンバープレートの取り付け位置が違う程度とその差は小さかった。

ビガーはアコードとリアのナンバープレート取付位置が違う

ホンダの気概が凄い

今回の原稿を書くにあたり、デビュー当時に出されたプレスリリースを読み返しているのだが、アコードの開発陣の意気込みが凄い。

「セダン・イノベーション、新型アコード&ビガー。この車は、今後の車作りの先進的な新基準となっていくでしょう。それは初代アコードが登場した時のように、単にホンダだけにとどまらない、日本のモータリゼーションにとってもひとつのエポック。新たな時代が、始まりました」(リリースより抜粋)

2.0Siのエンブレムはアコードファンの憧れ。2本出しマフラーがスポーティ

 セダンを変える、という意味で『セダン・イノベーション』という言葉はよく使われるが、日本メーカーで初めて使ったのは3代目アコードだったと記憶している。

車格アップ、機能美を纏ったエクステリアデザイン、新開発の2L&1.8LのDOHCエンジン、FF(前輪駆動)車として世界初となる4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションなどの採用は、すべてセダン・イノベーションの実現を目指したものだったのだ。

ホンダのエンジンの凄さ

3代目アコードは1.8L、直4SOHC、1.8L、直4DOHC、2L、直4DOHCという3種類のエンジンをラインナップ。1.8L&2L、直4DOHCは新開発された。2L、直4DOHCは、3代目アコードのデビュー直前にプレリュードに搭載されていた。

最上級グレードの2.0Siに搭載される2L、直4DOHCは160psをマーク。当時はホンダ史上馬力のエンジンとして話題になった。各メーカーがDOHC化するなか、お家芸ともいえるDOHCエンジンを温存してきたホンダが、シビック、CR-XのZCエンジンに次いで登場させたDOHCエンジンにファンは歓喜!!

2L、直4DOHCはアコードの直前にプレリュードに搭載された

ホンダのS(エス)や第1期F1での活躍を肌で感じていない、さらにほとんどの高校で在学中の二輪免許取得が禁止されていた1966年生まれの筆者世代(特に筆者)は、それよりも上の世代の方々に比べるとホンダに対する思い入れは強くない。CVCCエンジンの凄さはしっているが、高性能エンジンのイメージもなかった。

それなのに各自動車雑誌などで絶賛されているのがちょっと不思議だったが、恥ずかしながら運転免許を取得して、初代CR-X、今回取り上げている3代目アコード2.0Siを実際に運転して、その気持ちよさ、凄さを体感した次第だ。

160psをマークする2L、直4DOHCはロングストロークでトルク感も充分

巨匠も絶賛

一方シャシー面での特筆事項と言えば、FF車で世界初となる4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションの採用だろう。ダブルウィッシュボーンサスは高性能車、高級車御用達というイメージだったなか、2Lクラスセダンのアコードに採用されたのは驚きだった。理論上タイヤと路面との間のグリップ変化が少ないため、ハンドリング性能、直進安定性、乗り心地ともに高いレベルを実現できる。

世界で初めてFF車に4輪ダブルウィッシュボーンサスを採用

では、3代目アコードの出来はどうだったのかだが、当時の雑誌などを読み返しても、FF車作りのノウハウを持ったホンダらしく、その評価はすこぶる高かった。自動車雑誌の『ベストカー』の1985年9月10日号では、徳大寺巨匠は、初試乗後にFFとFRで駆動方式は違うが、アコードのライバルとしてメルセデスベンツ190E(当時の2Lクラスセダンとして出色の走りだった)を挙げていたほどだ。

量産車でFFレイアウトを世界初採用したのはMINIだが、FF車を世界に広めたのはホンダの貢献が大きいと思っている。そのノウハウが生かされていたのが3代目アコードだった。ただ、そのホンダをしてもボンネットが低い3代目アコードに高さが必要なアッパーアームを入れ込むのには、ギチギチに詰まったFF車のエンジンルームの制約もありかなり苦労したようだ。それを実現したのも気概の高さの賜物だ。

アコードのイメージスケッチ。実車と大きく乖離していない

時代の先取り感覚を具現化

3代目アコードを開発するにあたっての重要なキーワードがもうひとつある。それは、

「21世紀に向けた人間とクルマとの理想的関係がここにある」というものだ。ホンダはその重要ファクターとして、「時代の先取り感覚」を強調している。アコードがデビューした1985年の段階で21世紀をイメージしているユーザーなんてだれひとりいなかっただろう時にホンダはすでに21世紀を見ていたというのが凄い。

その時代の先取り感覚を具現化したのが、アコードのハッチバックに代わってラインナップされたエアロデッキだ。

ホンダの新しさの象徴としてデビューしたのがアコードエアロデッキ

今見ても斬新なデザイン

アコードに設定されたエアロデッキはアコードセダンのルーフを延長し、ハッチバックともワゴンとも思える特異なデザインでセダンの1カ月後に華々しくデビューを飾った。ホンダはデビュー時に、そのデザインについて「ウルトラロー&ワイドの考え方を基調に、これからのデザイントレンドをいち早く体現したロングルーフ」、と新しさを大々的にアピール。

セダン同様にエアロデッキもイメージイラストに忠実に市販化された

実際にエアロデッキのデザインは伸びやかなルーフラインの美しさ、ワンダーシビックを彷彿とさせるスパッと切り落としたリアエンドなど今見ても秀逸。写真で見るよりも実車を目の前にするとその美しさに息を呑むこと必至。

ロングルーフと低いボンネットの対比は今見るとかなり秀逸だが、当時は理解されず苦戦

エアロデッキは中途半端だった!?

アコードセダンが第人となったのとは対照的にエアロデッキは販売面で苦戦。目立つデザインだっただけに余計苦戦ぶりが強調されることになった。

その要因として考えらえるのはいくつかあるが、ワゴンとハッチバックをクロスオーバーさせたデザインは、裏を返せばどっちつかずととられてしまった。当時の日本ではセダン人気の一方でハッチバックもかなり売れていたのに、売れなかったのは中途半端に映ってしまったのは否定できない。

エアロデッキのインテリアはデザインはセダンと同じだがシート素材などで差別化されていた

日本にはワゴンをアシとして使う概念がなかった

一方ワゴンとしてはどうかだが、そもそもエアロデッキがデビューした当時は、一部輸入車ワゴンを買っていた人などを除きステーションワゴンの概念などなく、一般的にはワゴンといえば商用車のイメージしかなかった。ワゴンを日常のアシとして使う、というのは1989年に初代スバルレガシィが登場して以降の話だ。

当時少数存在したワゴン派にとっては、背が低いため荷室高が低く荷室もそれほど大きくないエアロデッキは、ワゴンとしてのユーティリティ面では中途半端だったのだろう。

ルーフに食い込みガルウイング状に開くリアゲートもセールスポイントのひとつ

デザインのよさが理解されず

それからデザインそのものの評価。美しいと書いておきながら心苦しいが、筆者は現役時代のエアロデッキを見てカッコいいとも美しいともまったく思わなかった。いや、逆にヘンテコリンなデザインにしか映らなかった。これは筆者の友人なども同様で、好き嫌いの好みがわかれ、どちらかといえば否定派のほうが多かった気がする。それが時間を経過して、10年後くらいたってから実車を見て、「美しい」となったのだ。デザインには正解がないなか、これは見る目がなかったんだろうとしか言えない。

そのエアロデッキもカタカナ職業の方や、デリバリー系でオシャレさを強調したい場合には重宝されていた。

リアエンドをスパッと切り落としているのはワンダーシビック譲りのデザイン手法

ホンダのイメージを爆上げ

チャレンジングだったエアロデッキは一代限りで消滅してしまったが、欧州ではアコードワゴンをエアロデッキという車名で販売していた。

当時のホンダはプレリュードの大ヒットなどもありオシャレなイメージが定着していた。売れたセダンと悲運のエアロデッキという好対照の結果に終わったが、アコード&エアロデッキの存在により、ホンダのオシャレなイメージは爆上がりし、さらに知的なイメージが加わったのは間違いない。

欧州で販売されていた固定ヘッドライトモデルを1987年から日本導入してCAとして販売したが人気は出ず

そのアコードは2024年3月から最新モデルが日本でも販売されている。初代モデルから数えて11代目となる。11代続いている日本車は少数派となるが、アコードは日本で買えるモデルはタイヤから輸入。車格もレジェンドクラスに大型化され、ジャストサイズだった3代目のイメージはまったくない。e:HEVを搭載する出来のいいサルーンという評価だが、影が薄すぎるのが悲しい。ホンダのビッグネームとしてはシビックが高らかに復活しているので、その復活の時を待ちたい。

最新の11代目アコードは流麗なデザインが魅力のハイブリッドサルーンだが、日本で使うにはいかんせん大きすぎる

【ホンダアコード2.0Si主要諸元】
全長4535×全幅1695×全高1355mm
ホイールベース:2600mm
車両重量:1110kg
エンジン:1958cc、直4DOHC
最高出力:160ps/6300rpm
最大トルク:19.0kgm/5000rpm
価格:198万7000円(4MT)

【豆知識】
リトラクタブルヘッドライトはスーパーカー御用達として世界的に人気となったが、特に日本車はスポーティカーを中心に積極的に採用された。日本車の初採用は1967年に登場したトヨタ2000GTで、普及のきっかけとなったのは1978年登場のマツダサバンナRX-7(SA22C)だ。ヘッドライトの最低地上高が規定されているなか、ノーズが低くしてもポップアップさせた状態で規定を満たすことができるため重宝された。しかし、ライトの規定の変更もあるが、衝突時の対歩行者の安全性の問題などから採用されなくなっている。

2024年時点で日本車最後のリトラクタブルヘッドライト装着車はマツダRX-7(FD3S)

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/HONDA、TOYOTA、MAZDA、ベストカー

画像ギャラリー

関連キーワード

この記事のライター

関連記事

巨匠ジウジアーロの渾身作に世界が騒然!! 117クーペ市販化へのいすゞの意地

AE86の再来ともてはやされたのが不幸の始まり アルテッツァは悲運のアスリート

バブルに登場、ユーノスコスモは何もかもが破天荒 みんなが啞然とした日本の超名車

ニーズも技術も時期尚早 販売苦戦ながらプレーリーは日産にとって『重要モデル』

おすすめ記事

「おとなの週末」2024年12月号は11月15日発売!大特集は「町中華」

【厳選】本当にうまい《個性派立ち飲み店》3軒!大井町、門前仲町に行ったら寄らなきゃ損!

人気声優・茅野愛衣さんが“やってみたかったこと”に初挑戦!居酒屋で人気メニューを制覇します

新宿・大久保公園で至高のラーメンフェス!! 「TRYラーメン大賞」&「おとなの週末」が選んだ【名店のラーメン】が なんと1杯「1000円」で食べられる

小田急線「本当にうまいラーメン屋」ベスト5…《千歳船橋・町田・鶴川》でみつけた鶏ガラ濃厚の「究極の一杯」

うな重特上を一度食べると、その下には戻れない深い美味しさ 老舗『鰻家』でうなぎの“旨み”を実感

最新刊

「おとなの週末」2024年12月号は11月15日発売!大特集は「町中華」

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。11月15日発売の12月号は「町中華」を大特集…