現代の食トレに通じる「金田鍋」
この食に対する姿勢は、選手生活晩年に巨人でプレーすることになってからも変わることはなかった。
「巨人に移籍して一番驚いたのは食事だった。宮崎キャンプで、宿舎の『江南荘』で出された料理を見て呆れたね。冷めたトンカツが食卓に並んでいるのよ。すぐに川上(哲治)さんに“私は自由にさせてもらう”と伝えたら、一発でOKとなった。川上さんも意識改革したかったんじゃないかな。ワシは部屋でメシを炊き、鍋をして、温かい食事を食べた。いわゆる『金田鍋』じゃ。すぐに末次(利光)、土井(正三)といった選手が集まってきて、もちろん王(貞治)や長嶋(茂雄)も来た。ワシは“食べないヤツは負ける”“健康でないと野球はできない”という信念を持っていたからね」(『V9の真実 ONの意識変革を呼び込んだ金田正一氏の「食事」と「散歩」』週刊ポスト2022年4月14日)
食べることも練習のうち。野球選手の体をつくる食事の重要性を、金田ほど深く理解し、実践した人物はほとんどいないだろう。その食に対する姿勢は、現代の「食トレ」に通じるものがある。金田の下でプレーしたロッテの選手たちも当初は戸惑いを見せていたものの、次第に金田式の食事に慣れ、それを受け入れるようになった。
1974年、金田監督のロッテは日本一に
チームは徐々に底力をつけ、金田の監督就任2年目、1974年にロッテは日本一となるが、その勝因に食事改革による体づくりがあったのは間違いない。時代は流れ、今やプロスポーツの世界で「食トレ」や栄養管理は当たり前のこととなった。そのさきがけが通算400勝の昭和の大エースであるという事実は、もっと語られていい。
石川哲也(いしかわ・てつや)
1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。
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