ライバルに対し販売面では劣勢
当時の日本車として一級品の動力性能が与えられ、エクステリアデザインもカッコいい。しかし、初代ソアラ、2代目セリカXXに対し劣勢は否めなかった。当時のユーザーを見ると、これは筆者の体感的なものだが、ソアラ、セリカXXが若者から年配まで幅広く支持されていたのに対し、Z31は年配のクルマ好きがメインで、クルマにあまり興味のない層への訴求が劣っていたように思う。マニア受けはしたが万人受けしなかったため、販売面でライバルに及ばなかったのではないだろうか。
その結果、1986年のビッグマイチェンではテコ入れのためにV6専用を謳っていながら2Lの直列6気筒ターボエンジン(RB20DET)を追加するなど迷走していた感がある。ただこの2L直6ターボは、ターボのタービン内のインペラをメタル製に替えてセラミック製にしてレスポンスを向上させる世界初の『セラミックターボ』を採用し、マニア心をくすぐったのも事実だ。実はこの2L、直6搭載モデルが一番よかったという意見もあるほど。
同時に追加されたのが3L、V6DOHCエンジンで、このエンジンはあのMID4に搭載されていたユニットだったということも話題になった。
マッチョに大変身
1986年のビッグマイチェンでは、エクステリアデザインが大胆に変更された。エクサや初代テラノを手掛けた北米の日産のデザインスタジオのNDI(日産デザインインターナショナル:現NDA)が担当した超絶マッチョなエクステリアデザインは、単なるマイチェンとは思えないほど大掛かりなものだった。
ボリューム感満点で迫力を増したデザインは、前期モデルのシャープなイメージを捨てていかにもアメリカ人が好みそうなデザインに一新された。このデザインも賛否あったが、デザインなんて人の好みが反映されるので賛否あって当たり前。ユーザーからは好評だったが、日本での販売を劇的に向上させるほどではなかった。ただ、メインマーケットの北米では、前期同様に堅調に販売。NDIがデザインを担当したことからもわかるとおり、北米での販売を第一に考えていたため、Z31のデザイン変更は成功したと言えるだろう。
Zの柳田氏が語るZ31
Z31のデビューした1983年は実はクルマ界に大きな変化があった。エアロパーツだ。それまでエアロパーツは自動車メーカーの純正品に関してのみ認可されていたが、アフターのエアロパーツが認可された。それによりいろいろな車種向けにアフターのエアロパーツが登場した。
“Zの柳田”とよばれたレーシングドライバーの柳田春人氏はレースと同時にフェアレディZ専門店のセントラル20を経営。その柳田氏に話を伺うと、「Z31と言えばエアロパーツだよね。ウチの店でも専用開発したエアロパーツを装着したモデルやエアロパーツ単体がよく売れた。そのほかでは足回りのチューニングも人気だった。Z31でカッコいいのは2シーター。2by2はルーフが伸びていてカッコ悪かったけど、後席のプラス2の実用性から売れたのは2by2のほうだった。そのZ31も下取り車として入ってくれば再版するけど、今ではほとんどないね」と振り返る。