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ゴミ捨てから始まった修業

箭内さんが修業に入ったのは2002年1月15日。当時20人弱の弟子を持つ箭内さんの修業はゴミ捨て、下処理から始まりました。大陸飯店では総料理長でしたが、ここでは一介の弟子。それでも箭内さんは初心にもどり一から学びました。

下処理をする箭内さん(2002年撮影)

2月に入ると、ようやく佐野氏とラーメンの試作に取り組みました。箭内さんは佐野さんのレシピ通り作るも理想通りの味に辿り着けません。問題は火加減でした。期間は長いようで短く、なんとしてでも佐野さんのスープ作りを体で覚えなければいけない中、試行錯誤を繰り返し、スープ作りに励みました。

自分の意見を挟む余地のない箭内さんでしたが、少しずつ自分なりの姿勢をみせ始め、味に付いて意見をするようになり、お互いもてる力を振り絞って最高の味を目指しました。ラーメン作りも佳境に入り、最終段階で「もう一味」についてお互い悩み、箭内さんは八戸に食材を探しに一度戻り、佐野さんはタレに一工夫加えました。そして2月14日、ついにお互い納得の行く味が完成しました。

修業当時の佐野さんと箭内さん(2002年撮影)

2002年2月20日、地元八戸でのお披露目

2002年2月20日、ラー博オープン前に、八戸でラーメンのお披露目会を行いました。八戸ラーメンに関して、地元の関心度は高く、地元のマスコミ、後援である八戸商工会議所・新幹線八戸駅開業事業実行委員会・八戸観光協会・八戸市物産協会、大陸飯店の関係者等150人に及ぶ参加者が集まりました。

八戸現地試食会=大陸飯店(2002年撮影)

参加者の目は「麺」に集まりました。八戸では縮れた細麺が主流でしたが佐野さんは、八戸の郷土料理である「ひっつみ」からヒントを得て「無意識のうちに八戸市民が慣れ親しんでいる食感を表現するには太麺が適する」と感じたようです。

小麦粉は、二戸産国産小麦「南部小麦」、「ねばりごし」を使用。小麦に旨み・香りがあり、モチモチした食感で手間暇かけて手揉みした麺。スープに関しても、「今まで味わった事のないコク」「適度の脂感がよい」との意見があり、ほとんどのお客様がラーメンを完食し、地元でのお披露目会は成功に終わりました。

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おとなの週末Web編集部
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