坂本龍一もアレンジで参加した大貫妙子のアルバム
ぼくが坂本龍一の名を初めて知ったのは1976年のことだ。山下達郎などと組んだシュガ 一・ベイブで一部の音楽ファンに人気となった大貫妙子のデビュー・アルバムの録音中だった。当時、東京は港区赤坂の溜池にあったクラウン・レコードにぼくはしばしば訪れていた。クラウン・レコードには大貫妙子以外にも細野晴臣などが所属していて、彼らのディレクターであるKさんには、随分とよくしてもらった。時々、電話がKさんからかかってきて、スタジオに遊びにおいでと言われた。
クラウン・レコードのスタジオは昼間はスケジュールが埋まっていることが多かったが、深夜は空いていた。その深夜に時間を気にせず、その後の日本の音楽シーンの原石たちがレコーディングしていた。
“ター坊(大貫妙子の愛称)のレコーディング中なので聴きに来ない”
ある夜、Kさんから電話があって、ぼくはスタジオに行った。スタジオにはKさんしか居なかった。
“ター坊のソロ・デビュー作の仮ミックス(レコードのためにステレオにミックス・ダウンする前の仮の音源)、聴かせるね”
そう言ってKさんは後の1976年9月に発売となる大貫妙子のソロ・デビュー・アルバム『Grey Skies』の仮ミックスを聴かせてくれた。
当時はJ-Popもシティ・ミュージックという言葉も生まれていなかった。だが、『Grey Skies』は紛れもなく、シティ・ミュージックと後に呼ばれるサウンドの先駆者だった。
“達郎(山下達郎)、細野さん(細野晴臣)、 矢野さん(矢野誠、矢野顕子の坂本龍一以前の夫)にアレンジを頼んだんだけど、坂本龍一って子に5曲ほど加わってもらったんだ。この子は凄いよ。きっと大物になるから、注目しててね”
Kさんはそう言ってニンマリした。
細野晴臣や大貫妙子などのディレクターをしていて、その審美眼を信用していたKさんが言うのだから、坂本龍一は絶対に大物になるとぼくも確信した。実際、『Grey Skies』の中で坂本龍一がアレンジを担当した「Wander Lust」、「いつでもそばに」といった楽曲にぼくもその可能性を見出したのだった。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。