1958年、駅前屋台からの創業
「中華そば 一力」の創業は1958年。製粉会社に勤めていた創業者の菅井幸二さんが、当時2万円で売り出していた中華そばの屋台を購入し、脱サラしたことに始まります。創業当時、敦賀のお客さまがまだ、それほど中華そば自体を知らなかったこともあり、「一杯40円」の中華そばを売るのに大変苦労したそうです。
そこで菅井さんは、福井県内にある高浜海水浴場まで屋台を移動し、中華そばを売り始めたのです。場所を固定しない“流しの屋台”でいろいろな場所を転々としたことで、徐々に評判となり、開業から5年もすると、「中華そば 一力」は行列ができる屋台となったのでした。その後、旧国鉄の敦賀駅前に屋台の場所を固定すると、またたく間に人気店となり、屋台が到着する前から行列ができるほどになりました。当時を知る人によると、「寒さの厳しい北陸の雪が降るなか、たき火にあたり暖をとりながら1時間待ってでも食べたかった……」というくらい、おいしかったそうです。
やがて、開業から18年後の1976年、ついに敦賀市役所の並びに店舗を構えることとなりました。この時、長年使用していた屋台を店舗前に飾り、厨房も屋台に限りなく近づけるように設計し、屋台を惜しむ多くの声にこたえたといいます。その後、フレンチ出身の二代目店主・菅井宏治さんが店を継ぎ、さらに進化。「中華そば 一力」は、地元で知らない人はいないほどの銘店であり、このラーメンを食べに県外からも多くのお客さまが訪れています。
団体旅行ブームから敦賀の屋台は発展
敦賀のラーメンのルーツは、1950年代(昭和20年代後半)に、京都のほうから来た屋台が、旧国鉄の敦賀駅前で営業したことが始まりとされています。その後、10軒ほどの屋台が駅前に集まっていましたが、1965年頃になると、団体旅行ブームが敦賀の中華そばを大きく繁栄させることになります。高速道路やドライブインのない時代、富山方面からの観光バスは“トイレ休憩”のために敦賀駅に立ち寄ったのです。その乗客、乗員の多くも、チャルメラの音と中華そばの香りに誘われて屋台に立ち寄りました。多い日には、なんと50台もの観光バスが、深夜の敦賀駅にやって来たのでした。
その後、屋台は国道8号線沿い(北陸と関西・中部を結ぶ幹線道路)に移ることとなりました。すると今度は、トラックのドライバーや、マイカーでの海水浴客、スキー客が殺到します。こうして人気に火がつき、さらに屋台が増えて、付近は“ラーメン街道”と呼ばれるほどの賑わいとなりました。ただし、現在ではその屋台も数える程度となったそうです……。