我が家のすぐ近くを、玉川上水が流れている。と、言っても現在では上に蓋をされた暗渠で、遊歩道になってしまってるんですけどね。でもかつて、江戸市内を潤すための水がここを流れていたことだけは間違いない。
玉川上水、江戸時代の土木技術に驚嘆!
承応2(1653)年、江戸の水不足を解消するため、多摩川沿いの羽村から四谷まで42.74キロメートルの水路が開削された(通水は翌年)。全長はそんだけ長いのに、高低差はたったの92.3メートル。ほとんど平らなところを、それでもちゃんと水が流れるように微妙な高低差をつけて運河を造ったわけだ。
おまけに途中にはあちこちに湧き水がある。そこに流れ込んだら流路が変わってしまうため、水源池を巧みに避けながら、尾根筋を辿るように水路を引く必要があった。あの時代にそれだけの大工事をした、我が国の土木技術がどんだけスゴかったのかがよく分かる。
今も羽村に残る、その玉川上水の取水堰。前々から行ってみたかったんですよ。あそこはもう青梅の手前で、武蔵野とは言わないんじゃないの!? との突っ込みもあるかとは思いますが、まぁいいじゃないですか(笑)
玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の像
てなわけでやって来ました、JR青梅線の羽村駅。取水堰は、ここから歩いたって行けるということだけど、せっかくだからバスを利用したい。羽村市の運行するコミュニティバス「はむらん」が、そっちの方へ行くということで、利用するつもりで来ました。
ところが来てみたら、次の便まで40分もある。それじゃ時間がもったいない。バスは帰りに使えばいいや、と行きは歩くことにしました。
羽村駅の西口を出て、小さなロータリーからそのまま続く道を下る。緩やかな下り坂で、川の方へ降りて行っているんだなぁ、と実感する。
迷うこともありませんでした。10分ほど、道を下って行くと多摩川に出ました。そしてここの分岐点から、玉川上水が始まる! 轟々と水が流れ下って行く。凄い水量ですねぇ。見ていると吸い込まれそう。
全体の構造を見てみると、いったん多摩川を堰き止めて第1水門から上水側に水を流し、余った分を川に戻しているのが分かる。上水の方が、川より立場が上なわけですよ。それくらい、江戸にとってこの水が重要だったってことですね。
上水の対岸に渡ると細長い公園が整備されてて、工事を請け負った玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の像が立っていた。江戸時代にこれだけの大事業を成し遂げた偉人。大学で土木工学を学んだ私としては、ただただ畏敬の念を抱く他ない。この取水堰、「土木学会選奨土木遺産」に認定されてます。当然!
さて、堰より下流にその名も「堰下橋」という歩行者専用の橋が架かってて、多摩川を上空から見下ろすことができます。上流の方を見遣ると、山の方から川が流れて来ているのがよく分かる、何とも長閑な眺め。東京都内なんて信じられないような気分になれますな。空にはトンビが優雅に舞ってました。
ただ、トンビだけではない。興醒めなものも頻繁に空を行き交ってる。米軍の輸送機です。そう、ここは米空軍横田基地から程近く。だからこんなのも飛んでるわけですね。