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旧高島町駅から廃線跡を辿る

横浜駅と高島町駅は、線路キロ程で800mしかない。しかし、廃線跡と平行する”便利な道”などはなく、ところどころ路地裏に入りながら鉄道遺構を探した。この区間には、東横線の電車に電気を送るための施設「高島町変電所」があったはずだが、見当たらない。記憶を辿ってその場所へ辿り着くと、その場所は更地になっていた。「高島町変電所」の建物には、右書きで「所電變町嶋高」と書かれれた扁額が掲げられていたのが印象的だっただけに、ちょっと残念。

現役当時の高島町駅と横浜駅の間には、道路と交差する架道橋が4か所あり、そのほかは帷子川(かたびらがわ)橋梁とJR東海道線を越える跨線線路橋があった。細かい話だが、道路を越える橋は「架道橋(がどうきょう)」といい、河川を越える橋は「橋梁(きょうりょう)」、線路を越える橋を「跨線線路橋(こせんせんろきょう)」という。

旧高島町駅から数え、2つ目の道路との交差部分あたりから横浜駅方面へと伸びる高架橋や橋梁(帷子川橋梁)などは、当時のままの姿を保っていた。しかし、JR東海道線を越える跨線線路橋や、その先の横浜駅へと至る高架橋は撤去・解体されており、現存しない。

こうした現状を見ると、横浜市が計画している横浜駅と桜木町駅を結ぶ「廃線跡」を再利用した”遊歩道計画”の実現性は、かなり難しいのではないか、という印象をもった。

「高島町変電所」があったあたりの東横線鉄道高架橋。この区間は解体されており、現存しない。=2004年1月29日、横浜市西区高島
独特の書体で「右書き」で書かれていた「所電變町嶋高」の扁額=2004年1月29日、横浜市西区高島
今も残される主要地方道80号線を越える架道橋=2025年5月13日、横浜市西区高島
主用地方道80号線の上を走っていた頃の東横線=2004年1月29日、横浜市西区高島
帷子川を越える「帷子川橋梁」の真下には、不自然な橋脚が2基あった。これは開業当時、長さ15mの上路式プレートガーターを3径間に渡していた名残りである。現在遺されている橋梁は、その後に架け替えられたもの=2025年5月13日、横浜市西区高島
この場所からJR東海道線を越える手前までは、「ライジングサン陸橋」と呼ばれた上路式プレートガーターが続く=2025年5月13日、横浜市西区高島
横浜駅の手前は、東横線のほか京急線、JR根岸線(京浜東北・根岸線)がひしめき合う区間でもあった=2004年1月29日、横浜市西区高島
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横浜駅付近の痕跡
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