「弁当」と「おにぎり」の関係
「宰相殿の空弁当」は、関ヶ原の戦いにおけるエピソードです。
西軍の将、毛利秀元は、関ヶ原の戦いにおいて、東軍・徳川家康の本陣の背後にある南宮山(なんぐうさん)に布陣しました。決戦当日、徳川軍を攻撃するため山を降りようとしましたが、先陣の吉川広家が出陣せず道をふさいだため、戦闘に参加できませんでした。
吉川広家は西軍が敗れると予想しており、東軍と通じていたのです。西軍の急使が秀元に戦闘参加を要請してきましたが、動けずにいた秀元は、苦し紛れに「兵卒に食事を与えている最中」と急使に伝えました。
結局毛利軍は戦闘に参加することなく、また、毛利家に連なる小早川秀秋軍の寝返りなどもあり、関ヶ原の戦いはわずか1日で西軍の敗北で終了しました。秀元の官位は正三位参議(宰相)であったため、世人はこれを『宰相殿の空弁当』と称したと言います。
弁当とは切っても切れない関係にあるのがおにぎりです。外出の用などのために事前に用意しておくのが弁当ですが、かつては「弁当=おにぎり」であったと考えられます。
したがって、弁当の起源はおにぎりの起源とも言え、現在認められているその痕跡は、約2000年前の弥生時代にまで遡(さかのぼ)ります。
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「おにぎり、おむすび、にぎりめし 記念日が存在しないのは?」食のクイズ(19)
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